最近、面白い主張が書かれた本を読んだので紹介する。
「学校とテスト」森毅著 朝日選書
第1刷が1977年だから、30年以上前の本である。
何が面白いかというと、「テスト中に学習手段を与えよう」という主張である。
大学での語学のテストで辞書持ち込み可というのはよくある。
小学生だってテスト中に九九表を持たせていいのではないか。
教科書・参考書・ノートの類を持ち込ませてはいけないテストというのは、一体何なのか。
テストが学習内容のシュミレーションであるからには、できるだけ常態に近い方が自然ではないか。
何なら、正解のわかりそうな周りの友達に聞いてみれば良い。
そういうのにも耐えられないテスト問題の意味は何なのか、という主張である。
まあ、自分の学級だけ単体でこれをやったら、先々の受験等に影響が出るので、やるわけにはいかない。
しかし、そもそもテストが暗記力を試すようなもので良いのかという投げかけは、面白いと思う。
30年以上も前から、そういう問題意識を持つ人がいたことに感動した。
テストとは一体何なのか。
成績をつけるためのものなのか。
子どもの学力をつけるためのものなのか。
色々考えてみるのも面白い。
2011年7月10日日曜日
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