タイトルは、元松下電機、現パナソニック創業者、松下幸之助氏の言葉である。
要するに、内容的には任せるが、先に教えるべきは教え、見守り続け、最終的な責任は自分がとるということである。
教育のあらゆる場面で使える。
例えば私は、学級会でこれを気をつけている。
学級会は、学級委員長を中心として行われる。
私は、会の最中、ほとんど一切口出ししない。
ただし運営の仕方や議事の決定の仕方は、事前に指導しておく。
それで同席しつつ、話を聞いているのである。
勝手な決定(極端な例を言えば、授業を一日つぶして遊ぶとか)が通りそうな場合、これは止める。
任せきれない部分である。
逆を行くと、全て失敗する。
内容をこちらが全て決め、後はやらせっぱなしという状態である。
まあ、例を書くまでもなく、ダメなのがおわかりいただけると思う。
人は、任されることで自尊心を感じ、成長する。
子どもにも権限を与えて見守ることで、自信を持たせたい。
2011年7月5日火曜日
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