生きていると「良いこと」と「悪いこと」が起きる。
その二つは、何を基準に分かれるのか。
物事の価値は、自分が決める。
青木仁志氏の講演で、次のような内容の話があった。
「(ガラスのコップを指して)これ、何に見えます?グラス?そうですか。水を飲む道具ですよね。
実はこれ、ペン立てなんです。つまり、使う人によって、意味や価値が決まるんです。」
かなり曖昧だが、そういう内容だった。
先の話に戻るが、何を基準に決めるか。
自分の心である。
良いも悪いも、自分の受け止め方次第である。
(もちろん、どう考えても良いと思えない出来事もあるのを認める。)
縄跳び関連で話を進めてきているので、それを具体例にして述べる。
例えば、縄跳び大会で優勝できた。
みんな大喜びである。
しかし、これを良いことにできるか、悪いことにしてしまうかは、担任次第である。
「努力は報われる。この自信をもとに、他のこともがんばろう!」と持っていければOK。
「他のチームもがんばった。その上での勝利。
表彰でも、一緒に頑張った他のチームに恥じないような行動をとろう」などと持っていければなお良い。
一方で「勝った勝った!」と喜んでばかりで、他のチームをけなすようでは、本末転倒である。
「どうだ、すごいだろ!」とおごってしまうようなら、こてんぱんに負けた方がプラスになる。
負けたら、ダメか。
それはない。
なぜなら、参加したチームの分だけ、負けが存在するのである。
算数の難問で「365チームでトーナメントをしたら、全部で何試合?」というものがある。
答えは、364試合。1試合で1チームずつ負けていくからである。試合数は敗北数と一致する。
したがって「負けたらダメ」理論だと、スポーツはやらない方が良いことになる。
むしろ、敗北から学べることの方が多い。
縄跳び大会なら、教師は「努力を認める」こと、「チームワークなど得たものを意識化させる」こと、
そして「先生の中では、間違いなく君達が一番かっこよかった」と断定的に肯定してあげること。
私なら、このあたりを意識して、結果をプラスに転じていく。
何事も、明るく前向きにとらえよう。
2011年2月21日月曜日
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