先日、私の尊敬する人物の一人である、体育の大家の先生のお話を聴く機会があった。
この先生は大変博識で、はっきりとした教育理念と使命感を持っており、かつ腰が低い。
その先生が、お話の中でこんなことをおっしゃった。
「私がつくったものなんて何一つありません。全て、人様からいただいたものです。」
自分が持っている知識も理念も、持っているものも地位も、何もかも人からもらったものだという。
この言葉に、大変感銘を受けた。
思えば、命だって、いただきものだ。
知識だって、本や人の話から吸収したものを、自分なりに解釈したものである。
世の中には「独創性」を誤って解釈している人もいる。
「独創性」は、多くの知識を基盤に作られるものである。
(「独創」をテーマにした某有名附属小の研究紀要にも、そのようなことが書かれていた。)
いきなり「無」からポンと出てくるものではない。
どんな独創的なアイデアだって、全て人様からいただいた知識を基に創られる。
そういう自覚を持って、「自分独自のようなもの」を持ちたいと思う。
そのために、とにかくたくさん本を読む。
講演会に行ったり、勉強会に参加する。
そういう中で、教師としての自信も築かれると思う。
2011年2月17日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿