他人と自分を比べる。
それは、何もいいことがない。
他人のある能力が、自分より勝っていると思う。
そう思うのはいい。
「○○先生みたいになりたい!」と憧れて、近づこうと努力する。
それも素晴らしい。
しかし、それで自分がダメだと思うのは、損である。
目指すのはいいが、比較しない方がいい。
他人のある能力が自分より劣っていると思う。
そういう事実は、いくらでもある。
しかし、それで相手を見下すようなら、それ以上自分は伸びない。
子どもを見る時にも当てはまる。
「うちのクラスの子どもはいい子達だなぁ」と思う。
とてもいいことだ。
「○○先生のクラスの子どもは、いいなぁ。それと比べて・・・」
これは、良くない。
○○先生は、自分とは違う人間だ。
担任している子どもも、全て違う人間だ。
みんな、それぞれ良いところを別に持っているはずである。
全てのものにはそれぞれ「個性」「特性」がある。
金づちは釘を打つのにはいいが、太鼓をたたくのには適さない。
逆に、バチで釘を打つ人もいない。
どちらも「叩く道具」という属性は、一緒である。
馬鹿にするなと言われそうだ。
しかし、こと話が人間になると、往々にしてそういう間違いを犯しがちである。
例えば、自分は母性が強いのか、父性が強いのか。
和やかなムードを作るのが得意なのか、びしっとさせるのが得意なのか。
水泳指導が得意なのか、歌の指導が得意なのか、絵画の指導が得意なのか。
もちろん、何でもできればそれに越したことはないが、誰しも万能ではない。
前にも書いたが、そこは無理せず、得意な人に依頼する手もある。
長くなった。
最後にあいだみつをの詩を。
「しあわせはいつも自分の心がきめる」
たまには、がんばってる自分も、誉めてあげたい。
2011年2月18日金曜日
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