社会科で、ノルマントン号事件、日清・日露戦争辺りを教えた。
領事裁判権を認めた為に、悔しい思いをした日本。
そもそも、そんな不平等条約を諸外国と結ばされまくった日本。
その理由は何か。
ずばり、「弱い」から。
従うしか選択肢がないぐらい、欧米諸国と力の差があったからである。
そうしないと、国自体の存亡も危うかったと推測される。
哀しいかな、止むに止まれぬ選択である。
弱い国々や人々は侵略され、支配されるべき。
強者の理論であり、やられる側から見れば「悪」そのものである。
まあ、漫画やアニメで例えるならフリーザ、ラオウ、バイキンマン辺りである。
悪には正義のヒーローが対抗する。
正義のヒーローの絶対条件は「悪と同等、それ以上の強さ」である。
弱ければ話にならない。
チャオズ、バット、クリームパンダちゃんでは、どんなに正義感を持っても、力不足である。
やはり、悟空、ケンシロウ、アンパンマンの強さが必須である。
何が言いたいのかというと、最近の日本政府の外交関係の弱腰について、ではない。
教師も強さが必要だということ。
正義の指導を通したかったら、強さが必要である。
この場合、強さとは、腕力の強さや言論の強さのみを指さない。
魅力から来る信頼感、尊敬、親しみやすさなども、強さの一つである。
(よく紹介する「信・敬・慕」である。)
他にも周りを味方につける能力や、何を言われても大丈夫な打たれ強さなど、様々ある。
指導を通したかったら、何らかの分野で「強さ」を持つこと。
弱い相手の言うことには、子どもも従わない。
力なき正義は無力であるという真理から目を背けず、指導にあたりたい。
2012年10月30日火曜日
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