ネバーギブアップ。
いい言葉である。
決して、諦めないこと。
大切である。
しかしながら、諦める、見逃すということも、時に大切である。
諦めない、譲らないガチガチの指導は、同時に危険もはらむ。
例えば、子どもの側に何かしらの障害と思われるものがある時。
先日の新聞で、かの有名なスピルバーグ監督が、読字障害であると発表したという記事があった。
子ども時代、非常に辛い思いをしたとあった。
読字障害の子どもに、ガチガチの指導は厳しい。
方法を変えるべきである。
例えば、他にもっと大切なことがある時。
いつも掃除の邪魔をしていた子どもが、今日は掃除を「さぼって」いる。
合格ラインから見たら、明らかに下である。
しかし、邪魔してないだけ、マシである。
邪魔してないことを評価した方がいい。
自己肯定感を少しでも高める方が優先である。
その上で、「良くなったね。でも、さぼらずやろうか。」と声かけする方が賢明である。
ちょっと諦めて、見逃す訳である。
あとは、教師の側が、肉体的、精神的にしんどい時。
ちょっとサボった方がいい。
エネルギー全開の時に挽回すればいい。
多分、調子悪い時の100倍ぐらいの能率で処理できる。
諦めない強さも必要だが、諦める柔らかさも持ち合わせたい。
2012年11月1日木曜日
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