今回は例のごとく、野口芳宏先生からの勉強会での学びを。
修養の話。
「研修」は「研究」と「修養」から成る。
研究は他者改善。
修養は自己改善。
教師は修養こそ大切とは、野口先生の数十年の一貫した主張である。
あれほど授業研究を熱心にされている先生が、「修養の方が大切」と言う。
つまり、研究はしなくていいというのではない。
修養があって、初めて研究も生きるという主張である。
土台がぐらぐらで上に積み上げたり飾ったりしてもダメということだと、
私は勝手に自分で解釈している。
野口先生は「教育は人にあり」という。
教師自身を高めること以上の、効果的な教育はない。
教え方などは、あくまでそこに付随するもの。
だから、大先生の素晴らしい方法を真似ても、うまくいかないという事態が起きる。
(しかしながら、そこから学ぶことも至極大切である。)
教師が「本物」であれば、どんな指導でも通るという。
どうすれば学級の子どもが言うことをきくのか、と悩む人が多い。
答えは、教師自身の修養にあるかもしれない。
2012年11月13日火曜日
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