なぜか伝記を色々読んでいる今日この頃。
今回は最近読んだ本からの学びを。
吉田松陰の伝記から。
こんな言葉があった。
「人を信じて失敗することがあっても、
人を疑って失敗することがないようにしたい。」
子どもに当てはめてみる。
子どもに指導をする。
子どもが嘘をついているような気がする。
しかし、確証もない。
そういう時にどうするか。
とりあえず子どもの言葉を信じてみればいい。
子どもを疑うぐらいなら、教師が責任をかぶればいいと。
時々だまされてみようかぐらいの気持ちでいること。
真実の追究が大切だという考えもある。
警察や裁判なら、それが絶対だろう。
しかし教育は人格の完成が目的である。
信じてやった方が教育効果が高いことが多い。
成人してから、「あの時はすみませんでした」と謝りに来る例もあるという。
別に来なくてもいい。
その人の心の中には残るはずである。
宿題忘れのようなささいな場合も同様である。
「やったけど持ってくるのを忘れました」というパターン。
基本的に信じてやって、時々ちくりとやるぐらいの方が効く。
やってこない子どもへの口癖は「信じている」で通す。
だまされてやるのも、教師の大切な仕事の一つである。
2012年11月19日月曜日
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