2012年11月3日土曜日

世間の目は厳しい

いじめが社会問題になっている。
どの問題も10年サイクルでやってくる。
つまり、何かが急に変わった訳ではなく、ずっと解決していない訳である。

しかしながら、これはやはり気にした方がよい。

先月、某有名バラエティ番組が、いじめ問題を1時間取り上げた。
普段はふざけた番組が、180度方向転換しての特番である。

その中で、いじめられている児童生徒の生の声がたくさん挙がった。
元いじめられっ子の有名人も多くコメントしていた。
教員側の代表者も素晴らしい人達がコメントしていたが、多勢に無勢な感があった。
(後にきくところによると、時系列まで前後して相当編集されているらしい。)

「情報」は「感情の入った報せ」である以上、発信者の意図が含まれる。
要は、テレビ局側は「学校も教員もダメ」という方向に持っていきたい。
そういう意図があって編集もされている。
(一方で、具体的な解決の方向も示されていた点が評価できる番組でもあった。)
新聞も同様である。
社会の不満のはけ口、責任を誰かに負わせる必要がある。
当然、ここは学校教育が負うべきという流れである。
全ての日本人が日本の学校教育を受けているのだから、至極当然といえば当然である。

残念なのは、ひとまとまりに「教員がダメ」と言われてしまう点である。
頑張っている人より、ダメな方に目がいってしまう。
万物に共通していえる、自然の摂理である。

政治を思い浮かべれば分かる。
何となく「日本の政治家はダメ」という印象が、社会全体に漂っているように思う。
しかし、実は全員がダメな訳でなく、見えている範囲がダメな感じなだけだろう。
だから、目立つ一部を見て、全体がダメな感じがしてしまう。

我々も、いじめ自殺が起きた学校の「仲間」である。
同様に責任が追及されていると思ってよい。
世間の目は厳しい。
今まで以上の迅速かつ誠実な対応が望まれる。

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