問題が起きた時、共通して「最悪の手段」といえる選択肢がある。
たとえば、いじめが発覚した時の最悪の手段とは何か。
それは、「何もしないこと」である。
「隠す」という行為も、「何もなかったことにする」という点で、これの仲間である。
毎日、新聞にいじめの記事が載る。
学校側が叩かれている原因は、どれも「隠蔽」と「不対応」の二つである。
いじめが発覚したら、まずすぐ動く。
校長及び周囲への報告が最優先。
その上で、何かしらの手をうつ。
何でもいい、というと語弊があるが、何もしないよりいい。
電話一本いれる、できれば家庭訪問する。
何かすることである。
やり尽くした上で、初めて「時間が解決する」という言葉が生きる。
「トラブルは成長する」という言葉がある。
放っておけば、どんどん腐敗が進む。
全てに共通する真理である。
2012年10月28日日曜日
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