6年道徳のある副読本資料に芥川龍之介の「くもの糸」がある。
地獄に落ちたカンダタが、お釈迦様の垂らしたくもの糸を登る。
途中で他の罪人が登ってきたので「降りろ」と言ったら糸が切れる。
まあ教える内容としては「自分だけいい思いをしようとしてはいけませんよ」
といったことになりがちである。
道徳の授業は「自己に返す」がキーワードである。
「自分はどうだろう」と実感を伴って考えることが大切になる。
この話で、カンダタの立場になって考えてみる。
上っ面しか話せない学級だと、「カンダタはひどい」「私なら一緒に登ろうと言う」ということになる。
(よく考えると、ひどいのはお釈迦様の方であるとも考えられるが、ここでは割愛。)
しかし、世の中結構「カンダタ」の選択肢である。
東日本大震災の時、ガソリン不足や食糧不足が東北地方以外の各地でも起きたことが、それを証明している。
学級の子ども達とて、大人達とて同じである。
自分が被害を被るしれないという状況で、果たしてどう行動するのか。
それを本気で言い合えるようでなくては、道徳の「自己に返す」にならないと思う。
「いや、自分もカンダタと同じく、降りろと言うかもしれない。」
そういういわゆる「マイナス」の発言にこそ、本音は表れる。
そこを大切にする授業をしくんでいきたい。
2012年10月3日水曜日
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