子どもに、「先生、サンタっているの?」ときかれたら、どう答えるだろうか。
昨日、次の本を読み聞かせをした。
「サンタクロースってほんとにいるの?」
作 てるおか いつこ 絵 杉浦 範茂 福音館書店
子どもが問いを発し、父親がそれに答えるという形式でお話が進む。
たとえば、
「何で来ない家があるの?」
「それはね、病気の子どもの家で、話し込んでいたからじゃないかなぁ」
というような感じで、子どもの素朴な疑問に父親が答えていく。
見開きの左が問い、右が答えのページなので、私は右半分を紙で隠しながら読み聞かせをした。
その後に「サンタを見たことがある人?」ときくと、誰も見たことがないとのこと。
続いて、
「見えないものは存在しないのか?」
「自分が見たことがないものは存在しないのか?」
と問いかけた。
子どもからは「空気は見えないが、ある」「恐竜は誰も見たことがないが、存在したらしい」
というような意見が出た。
私は「他人の気持ちは?」「今考えていることは?(思考)」
「地球が回っていることは?」「宇宙の果ては?」
というようなことも付け加えた。
要は、「自分が『知識』として知っているか」どうかでしかない。
自分の目で確認したかどうかは、問題にならない。
常識なんて、そのレベルである。
だから、昔は地球の周りを天体が回っていた。
今だって、本当に地球が回っているのか、私は直接見たことがない。
真実は、目で見てもわからない。
見たからわかるものではないし、見てないからわからないものでもない。
最後に、次の詩を読んだ。
「星とたんぽぽ」 金子みすず
著作権の関係で、詩の全文は載せられない。
ここでは「昼の月」と「根」について書かれている。
この詩が伝えたいことは、また違うような気もするが、見えないものが大切で、つよく存在する、ということは同じだろう。
サンタがいるかいないかということで討論しても、不毛である。
宗教上の問題にもなるかもしれないので、そこはあえて突っ込まない。
しかし、信じる、信じないは、その人が幸せな方を選択すればよい。
子ども達が幸せなクリスマスを迎られたらいいなと思う。
2012年12月20日木曜日
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