最近受けた研修会と勉強会で、それぞれ違う先生が共通のことを話されていた。
それは、学校が国と同様に「法治国家」であるということ。
法治国家には、法律とそれを破った場合に対する裁判所や警察が必要である。
法治国家には必ずこれがある。
学校はどうか。
法律。
学校教育法からはじまり、学級独自のルールも必要で、これは教師が作るものと子どもと相談して作るものがある。
裁判所。
学級会で話し合うこともあるだろうが、これは教師集団が直接指導することによって代わる。
警察。
子ども達も互いに注意はしあうが、どうやっても自衛団レベルである。
これは、教師が担うしかない。
「教師が裁判官や警察になるべきでない」という人もいる。
ある面、正しい。
独裁者であってはならないだろう。
しかし、法にそむいて国民に被害を与えるものを放置しては、無責任である。
時に警察の役割を担わねば、信頼されない。
嫌かもしれないが、そうすることで、治安が保たれ、平和と安全がもたらされるのも事実である。
最初から「放置国家」では、学校、学級は成り立たない。
ニコニコしていれば平和が成り立つものではないというのも、厳しいが現実である。
2012年12月9日日曜日
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