特別な支援が必要な子どもへの配慮は、それ以外の子どもにとってもありがたいものである。
だから、面倒でも対策をとれば、逆に後で楽になる。
クラスの「困る子」がいたら、神様からのお使いであると考える。
その子どもは、自分にヒントをくれている。
困るということは、自分の弱点をついている。
弱点が明らかになる訳である。
そうすれば、対策も立てられる。
『「困った子」は「困っている子」』という言葉もある。
教師も困っているが、子どもも困っているのである。
子どもの側が自然に変わってくれるということは期待できない。
解決するには、教師の「主体変容」である。
神様からのお使いを歓迎し、弱点を克服していきたい。
2012年12月16日日曜日
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