「嫌だな」または「苦手」と思われている人がいるとする。
この意識はどこからくるのか。
これは、自分の苦手なもの、避けたいものを持っている人である。
管理職が嫌な場合。
権力に弱いのかもしれない。
または、自分が上に立ちたいのかもしれない。
口うるさい人が苦手な場合。
自分がだらしない面があるのかもしれない。
自分の中に、本当は良くないと思っている面があるのかもしれない。
苦手な人というのは、要は「痛いところ」を突いてくる相手である。
劣等感を暴かれる。
相手に正当性があるほど、やり場がなく、憎しみがわくという面もある。
発想を転換する。
その人は、「嫌な役割」を自分の代わりにもっている人かもしれない。
または、自分の中の直すべき面を、教えてくれている人かもしれない。
学級担任で考えてみる。
いつも優しくて、何をしてもにこにこして受け容れてくれるA先生。
規則に厳しく、悪いことは見逃さないB先生。
A先生は、母性が強く、B先生は、父性が強いともいえる。
自分は、どちらに近いだろうか。
そして、自分は逆の立場を任されたら、うまくやれるだろうか。
恐らく、ほとんどはうまくいかないはずである。
人にはそれぞれ適性があり、役割がある。
「悪役のいない芝居じゃ、誰も見ませんわな」とは、松下幸之助氏の言である。
光と闇は、セットである。
表と裏は、切り離せない。
必ず、逆の役割が必要である。
その「嫌な部分」を、担当してくれている人かもしれない。
いつも他の職員に率先して子どもを叱っている生徒指導の先生は、大変である。
その先生は、恐れられる。
子どもから見たら「嫌な人」の役割を担う。
(一方で、「信頼できる」という評価がつくこともある。)
そして、その先生がいなければ、どうなるかも想像がつく。
泥をかぶる人が、必要だ。
さらに、その後フォローをする役割の人も必要である。
何でも、見方次第である。
2012年12月18日火曜日
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