2017年10月26日木曜日

授業における教師と子どもの願いのギャップを埋める

教育と育成・養成の話の続き。

例えば学校や家庭で「こういう約束にしたはずです」と子どもに説教する場面がある。
子どもは、そんな約束をした覚えがあるまい。
こちらが勝手に都合で「〇〇しましょう」「この行事の目標は〇〇」と設定しているだけのことが結構ある。
その姿にこちらが「育成」したいだけであり、子どもの願いは置いてけぼりである。

子どもからすれば、本来「遠足の目標」など知ったことではない。
本当の願いは「友達と一緒に思いきり遊びたい」だけである。

だからといって「自由にさせればよい」ということではない。
ここが難しいのだが、子どもからすると思いきり遊んでいるだけのようで、実はこちらの願いも達成しているというのがベストである。
そうでなければ、わざわざ教育の場として設定する必要はなく、単に時間と場を与えて遊ばせればいいだけである。

同じ鬼ごっこでも体育の授業でやるものと休み時間にやるものは、やはりねらいが違うのである。
前者には教える側の願いがあるが、後者には子どもの願いしかない。

学校教育には「目指す姿」があるからこそ、わざわざ学校に来させて行っているのである。
この願いのギャップを埋めていくこと。
授業を考えていく上での基本中の基本である。

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