2016年12月15日木曜日

過労防止策 いい人にならない

気遣い。
思いやり。
大切である。
しかし、度を過ぎると、過労の原因になる。

実際、わがままな方が、ストレスは溜まらない。
いい人を演じてストレスを溜めて倒れては元も子もない。

世の中には、真の「いい人」が存在する。
滅私による奉仕に生き甲斐を感じる神様のような人がいる。
マザー・テレサは、その文句なしの好例である。
その行為は、もはや神様にしか見えない。

しかし、自分がそれになろうとすると、無理がある。
例えば、誰もやりたがらない雑用や辛い仕事を自分が引き受ける。
それ自体はいいことかもしれない。
しかし「いい人」に見られようとしてやるのであれば、本末転倒。
それが「自分を磨くため」「世のため人のため」と思ってやり甲斐をもてるならば、大いにやる。
その奉仕の精神の極地がマザー・テレサの領域である。
ただ、自分がマザー・テレサと似たタイプの人間かどうかは、見極める必要がある。

例えば、人を嫌ってはいけないという前提がある。
これ自体はいい。
ただ、人を嫌わないということと、行為を嫌わないということは別物である。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の指すところである。

嫌なものは嫌である。
それなのに「私は教師なんだから」「社会人なんだから」「大人なんだから」とか立場で理由付けをして感情を否定する。
そうやって自分を否定するのが一番よくない。
その人を嫌わないまでも、嫌いな行為は嫌いである。
それは嫌と言ってよい。
あなたが誰かを傷つける権利がないのと同様、誰にもあなたを傷つける権利はない。
嫌なことを嫌と言わないから、ストレスが溜まる。

私は、かなりはっきり「嫌」を態度と言葉に出す方である。
「何それ?けんか売ってる?」とか「今の言葉、すっごい嫌。」とかはっきり言う。
大人げないことこの上ない。大人として、いいとは思えない。
しかしこの態度は、割と誰に対しても一貫して同じである。
大人と子ども、年上と年下、男女等、立場に関係ない。

唯一の例外は、保護者。
接触する機会が少なすぎるので、ダイレクトな物言いでは意図が伝わらず、関係性が保てない。
結果的に間にいる子どもが犠牲になるので、ここだけは言い方を考える。

これが年の近い仲間同士だと、けんかになることもある。
周りから見れば、多分ただの「ガキ」である。
ただ、そうやってけんかできる位の相手の方が、関係性が良好である気がする。
良好な人間関係は、「裏」が少ない方がいい。
表、素を出しまくりである。
空気なんて読んでられるかというぐらいのものである。

嫌なものは嫌という。
いい人にならない。
『嫌われる勇気』がベストセラーになった理由も頷ける。
https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819
嫌われる勇気が必要なのと同様に、嫌う自分も認める必要があるように思う。

子どもの眼・子どもの心

夏の読書に、次の本を紹介する。 『一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント』 鹿島 和夫 編 フォア文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4652039077 35年以上前の本だが、今の教育で欠けている視点が手に入る良書である。 ...

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