2016年12月13日火曜日

過労死ライン80時間を考える

今回は、かなり真面目な話題。
自分としてもここ数年の中心的な関心事なので書く。

過労死がまた問題になっている。
人が死ぬまでに至らないと大きな問題にならないのがそもそも問題ではある。
(これはいじめ問題でも全く同じことがいえる。)

過労死するぐらいの人は、確実に真面目で気遣いのできる人である。
不真面目だったり自分勝手だったりする人ならば、そこまで至らない。
途中で必ずサボる、休む、誤魔化すなどの抜け道を探す。
真面目でいい人、職場の人間的評価が高い人ほど、気を付ける必要がある。
(その点で私は安心である。)

残業時間が問題の槍玉に挙がっているが、そこは問題の本質とは異なる気がしている。
残業を月80時間が過労死ラインとされている。
単純に勤務時間外労働の総時数で考えると、中学や高校の部活動を担当している教員はかなりの数アウトである。

しかし、みんなが倒れる訳ではない。
むしろ、生き生きやっている人も山ほどいる。
「部活禁止」にしたら、逆に生気がなくなるのではないかという人もいる。
アンケートをとっても、ここの受け止め方は本当に個人によって異なる。

つまり、ラインとしては80時間なのだが、その内容にこそ本質がある。
今回新聞で取り沙汰されている件だと、本人がその残業内容を相当に嫌がっている様子がうかがえる。
行きたくない飲み会に深夜から早朝まで強制参加させられた上に、先輩方に仕事のダメ出しをされていたという。
なまじそういうのを乗り越えて強くなってきた人がいるから、話が余計ややこしい。

本人が嫌なことは嫌なのである。
努力とか根性の問題にすり替えてはいけない。
生理的に嫌なのである。
生理的、本質的に嫌なことで残業したら、たとえ1時間でも「過労」と同じ状態になる。

ちなみにこの「嫌なこと」とは「やるべきこと」とは違う。
どちらかというと、本人としては「要らないのではないか」と思っていることである。
それなのに嫌々渋々やっている自分を認識し、ますます嫌になって疲れるというパターンである。

基準はあくまで基準である。
本人の基準は別にある。
自分が辛いことでも、相手には楽しいことかもしれない。
自分が楽しいこと、善意であっても、相手にとっては辛いこと、悪意かもしれない。

自分が嫌だと思うことからは、努力せずに距離を置いた方がよいというのが、私の一貫した持論である。

オレオレ病

作家であり心理学者でもある、早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生の言葉。 ================ 他人のために何かをしてあげれば、 大抵の自分の悩みはたちどころに消える。 ================ 大学生の頃、教育心理学を専攻していたこともあり、加藤諦三先...

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