落差を問うことを軽んじた失敗の具体例を挙げる。
2学期、社会科のテストをした。
「終戦記念日」が何月何日などは、当たり前の知識だと思っていた。
しかし、これが大失敗だった。
よく考えれば、6年生は初めて歴史を学ぶ段階の子どもたちである。
終戦記念日を気にして毎年過ごしている訳がない。
「8月15日に玉音放送が流れ、戦争の終わりが国民に告げられた」
ここを読んでも書いても教えても、実はわかっていなかった。
大体「8月15日という日は覚えるべき」ということだって普通は考えない。
自分で調べさせて、なぜこのタイミングなのか、広島、長崎との関連等、諸々問うて初めて頭に入る。
当然、テストの段階では多くの子どもの頭の中から抜け落ちていた。
教師と子どもの落差を無視した報いである。
落差を常に意識する。
授業においての基本的かつ重要な構えである。
2013年12月30日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿