発問とは何か。
野口芳宏先生は、発問とは「落差を問う」ものであるという。
発問で問うべきは、落差である。
ここでいう落差とは、子どもの「不備・不足・不十分」のことである。
(逆に言えば、落差の生じないものは問う必要がない。)
子どもの理解度には落差があり、それを問うことで顕在化させる、という面がある。
理解の浅い状態の子どもを、発問でひっぱり上げる。
「わからない」が「わかる」になる。
向上的変容である。
もう一つ、「教師と子どもの落差」があるから問う、という面もある。
教師の側は「これぐらいわかっているだろう」と思う。
しかし問うてみると、これが意外と子どもの側はわかっていない。
発問でそれを確かめることができる。
長くなったので、次号に続く。
次号は落差を軽んじた失敗例を挙げる。
2013年12月28日土曜日
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