前号の続き。
恐怖アピールを止めて、プライドを根付かせる動機付けについて考える。
掃除における次の3つの状態を例に考える。
A:先生が見ている時だけやる、という状態
B:誰が見ていようがいまいが、掃除はやる、という状態
C:きれいになっても、更にできることを自分で探してやるという状態
AからC、どれも動機付けがポイントである。
動機付けは、報酬により決まる。
千葉の戸田正敏先生の言葉を借りると、次のような表現になる。
「誉める=価値の方向付け」
何を誉めるかによって、価値の方向、つまり動機付けが決まるということ。
やたらめったら誉めるということは、価値の方向が定まらないと言える。
誉めるべきを誉める、ということが大切である。
Aの状態にするには、やっていない子どもに着目して叱り、やっている子どもを無視すること。
その場限りに取り繕ってやっている子どもには着目し「がんばってるね」と誉めること。
教師が一緒に掃除をしないのもポイントである。
一緒に掃除をしていると、本当に一生懸命やったかどうか、判別できる目がついてしまうからである。
Bの状態にするには、教師も一緒に掃除をする。
そしてやっている子どもに「きれいにすると気持ちがいいね」と笑顔で声かけをすること。
笑顔も声かけも「報酬」の一つである。
さらに、教室の隅や物をどかして掃除するなどの、汚い部分に着目する視点を持たせること。
きれいが良い、という意識を持たせることがポイントである。
ちなみにここでやっていない子どもに対しては、基本的に指導する必要はない。
叱ることで、ある種「サボると注目してもらえる」という報酬になりかねない。
Bの状態は「人に見られているかはどうでもいい」レベルであるから、基本的に叱る必要はなくなる。
冷たい視線を送る程度で放置し、やったら軽くほほえみかけるぐらいで良い。
見られることは目的化していないので、時に見回りにほとんどいけなかった、ということがあっても大丈夫である。
Cの状態にするには、そういう子どもをまず一人見つけてその場で誉め、全体の前でも取り上げて誉めること。
できればこの人選は、普段他の行動では目立たない子どもがベスト。
いわゆる「あまり目立ちたがらないけどきちんとしている」と周りが認めている子どもがいい。
本当に真面目な子どもである。
そこにスポットライトを当てて、思い切り誉める。
ああいう行動が「かっこいい」のだと価値を方向付け、プライドを持たせる。
掃除以外の時間でも、他人の為に無償でやっている行動をめざとく見つけて誉める。
教室の中にもそういう場(罠)をしかける。
変な話、紙くずを一つ床に放置しておき、拾う子どもがいるか何気なく見ておき、いたらすかさず誉める。
(あえて落とさなくても、整理整頓が苦手な子どもの机の周りに多分落ちている。)
とにかく「世のため・人のため」がかっこいいという価値付けをするのがポイントである。
掃除を例に説明をしたが、あらゆる指導の場面に応用できる。
誉める方向に人は伸びる。
「誉める=価値の方向付け」とは、至言である。
2013年12月23日月曜日
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