前回の続き。
「食の教育は、感謝に始まり感謝に終わる。」
この言葉を聞いて、以下のようなことを考えた。
漢字に直すと「頂きます」「御馳走様」。
「頂く」は、頭上高くに位置させることで、神事に用いる言葉である。
命を取り入れる行為である。
「馳走」は、あれこれ走り回って世話をすること。
食材を育てるところから運搬、調理まで様々な人の手を渡って口に入る。
そこに「御」と「様」という敬意を示す言葉が付く。
とにかく、感謝に尽きるということである。
食育では、ここを落とさない。
例として、食べ物で遊ばない、粗末に扱わない、不平不満を言わない。
わかりやすく言うと、関わる人全てが見たり聞いたりして嫌な思いをするようなことを避ける。
御飯を残すのは仕方無いが、お椀に御飯粒がべったり残っているのは、指導すべき事柄である。
粗末に扱っているし、洗うのも大変である。
まだまだあるのだが、長くなったのでここまで。
こんなことを話し合ったということで、ご紹介した。
2013年12月15日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿