私の大学時代の友人の伴侶であり、私の知人でもある方が、先日亡くなった。
相当に優秀な教師で、素晴らしい学級経営をされていたということだった。
入院中も、大変前向きな闘病生活を送ったという。
もう一度子ども達の前で、という強い思いがあったことだろう。
「あなたが虚しく過ごした今日という日は、
昨日死んでいったものが、
あれほど生きたいと願ったあした」
(「カシコギ」趙昌仁著 サンマーク出版 より引用)
今日も、子どもの前に立って教師の仕事をする。
何となく過ごしてしまう日が多いと思う。
しかし、それではいけないのだ。
今を全力で生きる。
教師という仕事を選び、子どもの前に立つ以上の責務であると、今更ながら気付かされた。
気付けば、変わる。
「今」を自覚的に、魂を燃やしているつもりで生きたい。
2013年6月1日土曜日
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