指導と評価の一体化が大切と、よく言われる。
何だか難しい理論のように思える。
要は、教えたことは必ず評価をする、ということであると自分は解している。
絵の描き方を教える。
その通りにやろうとしていたら誉める。
間違っていたらまた教える。
それで、できたらまた誉める。
掃除をやらずにさぼっていたので指導する。
一緒にやる。
やったら誉める。
さらに良いやり方を教える。
できたらまた誉める。
教科書を読む時、句読点で区切ることを教える。
飛ばしたら指導する。
本当にできない子どももいるので、一緒によんでやる。
やろうとしたら誉める。
できたらまた誉める。
教師は「指導」は得意だが、「評価」は苦手である。
指導は無意識にできても、評価は意識的にしないとできない。
指導して評価がないのを「やらせっぱなし」という。
また、できたら誉めるのは勿論だが、教えたことに従った、つまり、やったら誉めるのも大切である。
やったこととできたことは違う。
できてなくても、やろうとした行為自体を評価する。
関心・意欲・態度面の評価と、技能面の評価は別である。
(従わないけどできる、ということもある。これをどう評価するかは、状況による。)
指導とは子どもの「不備・不足・不十分」をつき、理想の状態にひっぱり上げる行為。
(私の言葉ではなく、野口芳宏先生の言である。)
言うことをきいて努力してそこまで向上したら、誉めてもらいたいのが人間である。
それが、次もまた先生の言うことをきこうという気持ち、やる気、素直さにつながる。
4月、子どもは特によくそこを見ている。
言われたことをやったら、誉めてくれる先生なのか、何も言わないのか。
叱った場合は、特に意識して誉める必要が出る。
叱るけど直しても誉めないから言うことをきかなくなる、というのがよくはまってしまうパターンである。
指導以上に、評価は意識して行いたい。
2013年5月30日木曜日
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