始業式から最初の1週間は大変である。
子どもが来る前の1週間とは全く違った大変さである。
大変であるが、何といっても「黄金」の期間であるから、充実している。
やはり、子どもがいてこその学校である。
以前紹介した金大竜先生の著書の中に、次のようなことが書かれている。
(金先生のお父上の言葉とのこと。)
「子どもがいるから教師なんだよ。
子どもがいなかったら、ただの教え好きで終わってしまう。
つまり、子どものおかげで夢を追える。
子どものおかげで生活ができる。
子どもに手を合わせて生きていかないとな」
(「クラスがうまくいく魔法の習慣」金大竜著 学陽書房 より引用)
子どものおかげで、仕事が成り立つ。
子どもが半分いなくなったら、我々も半分不要になって、クビである。
手のかかる子どももいる。
しかし、クラス全員が完璧で、教える必要のない人間なら、やはり教師は不要物である。
クラス全員が授業前に既に完璧に授業内容を理解できている状況なら、授業の必要がなくなる。
そう考えれば、勉強が苦手な子ども、手のかかる子どもは、教師にとって最高にありがたい存在である。
「人格の完成を目指す」が教育の目的である。
教える相手のみならず、教える側にもいえることであるように思う。
2013年5月23日木曜日
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