授業の本質を磨く。
見るからに重い感じだが、少し砕いて考える。
授業の本質的な楽しさとは何なのか。
私は「知的好奇心」の一言に尽きると思う。
新しいことを学ぶ楽しさ、それそのものが授業の楽しさである。
私はよく次のような話をする。
「みんなは、欲しいものがありますか。
(新しいゲーム、新しい服、携帯電話など口々に言う。)
世界中の子どもの願いの第一位は何だか知ってますか。
(間を取る)
それは、『学校で勉強したい』です。
世界中には、様々な事情で、勉強したくてもできない子どもがたくさんいます。
たまたま日本に生まれたみんなは、勉強できるありがたみを感じていないかもしれません。
これは、親がいることに感謝しないことと似ています。
近すぎるもの、当たり前すぎるものには、人間は感謝しません。
空気もそうですね。
でも、ないと非常に困る。
勉強ができるということは、世界一幸せなことなんです。
人間は、勉強することで人間になっていきます。
新しいことを知れること、これ自体が幸せなんです。
みなさん、毎日学校で勉強ができて、本当に幸せですね。」
こんな話をすると、大きくうなずく子どもがいる。
少なくとも、全員真剣に聴いている。
こうすると、次から勉強に打ち込む態度が変わるのである。(1日ぐらいは。)
これを、折に触れて形を変えて話す。
生きることは、学ぶこと。
学ぶことは、楽しいこと。
幸せなことである。
2012年8月6日月曜日
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こんにちは。
返信削除飯村友和です。
今日はおつかれさまでした。
いただいた名刺から来てみたら、超あついブログじゃないですか!!
勉強になります。
自分もがんばろうと思いました。
早速見ていただき、ありがとうございます。
削除飯村先生の著書、メルマガで紹介させていただきます。
正直、悔しいです。
今後とも学ばせて下さい。