子どもが学校や勉強を好きだ、得意だと思い込むにはどうすればよいのか。
一つに、各教科の中に一つ以上の「お楽しみ」を用意しておくという方法がある。
これは、一回だけの打ち上げ花火的なものではなく、毎回のルーティーン(定型)
として組み込まれている必要がある。
国語をやれば、百人一首や暗唱がある。
社会は、歴史カルタ。
算数なら、難問やパズル(毎回用意は難しいが)。
理科などは、実験そのものが楽しい。
体育なら、集団でふれ合う鬼ごっこ的なゲーム。
外国語なら、チャンツやゲーム。
・・・などというように、何かしらの楽しみがあれば、それだけでくいつくことがある。
しかし本質的な楽しさは、ここではない。
エンターテイメント的な楽しさは、言うなればきっかけ作りである。
商品でいうなら、広告やオマケみたいなもので、最初の興味・動機付け程度である。
商品PRができてない商品は、そもそも売れないので、良さも分かってもらえない。
しかし、せっかく買ってみてもダメな商品なら、もう二度と買ってもらえない。
やはり、商品の本質的価値を磨く必要がある。
色々な機能のついた「十徳ナイフ」でも、ナイフの切れ味が悪ければ使えない。
授業の本質を磨くことが、本分である。
(次号に続く)
2012年8月4日土曜日
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