子どもの自主性を育てたい。
しかしながら、言うことをきかないのも困る。
段階としては、まず教師の指示をきき、忠実に実行できること。
(やるべきことを、言われてやる)
次に、やるべきことに自分で気付いて実行できること。
(やるべきことを、言われる前にやる)
最後が、自分でやることを作り、自主的に実行できること。
(自分でやることを作り、自主的にやる)
掃除を考えるとわかりやすい。
見ていればやる、見ていなくてもやる、自分で探してやる、という感じである。
子どもがどの段階なのか、見極めることが大切である。
教える段階か、支援の段階か、任せて見守る段階か。
ここの見極めを間違えると、教師にも子どもにもストレスになる。
2012年7月27日金曜日
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