またまた人様のネタで申し訳ないが、紹介したい。
「ほとんどの人は、最善を考えるが、次善を考えない」
というような話をきいた。
なるほど、である。
例えば、授業が全て「支援」だけで進む授業を「最善」とする。
子どもが主体的に動き、教師はそれをそっとサポートするだけ。
子どもは自主的にいきいきと活動している。
理想的である。
しかし、現実はそうはいかない。
ならば、次善の策は「きちんと指導」である。
教師が考え方を教える。
正しい、正しくないをはっきりさせる。
間違っていたら正す。
引っ張っていく。
最悪は「放任」である。
子どもは好き勝手活動している。
授業における向上はない。
いわゆる「活動あって学びなし」の状態である。
最善を求めるのはいいが、最悪になっていないか。
ならば、次善の策をとった方がはるかに良いのではないか。
基準を下げる、というのとは少し違う。
基準を目的に合わせる、という感じである。
実態を見て、どこまで求めるか見極めたい。
2012年7月21日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
0 件のコメント:
コメントを投稿