生徒指導がうまくいっている学校はどんな学校か。
「怖い教師がいる」「厳しい教師がいる」では、×である。
この場合、その教師の前でだけは、ルールを守るようになる。
理由も「叱られるから」。
これでは、生徒指導の意味がない。
やはり、うまくいくのは、全ての教師が一貫した指導をする学校だと思う。
チーム力の高い学校といってもいい。
どの教師であっても、ダメなことはダメと言われる。
A先生なら叱られるが、B先生なら優しく許してくれる、というようなのは最悪である。
子どもの判断基準が「正しいかどうか」ではなく、「誰に見られているか」になる。
全ての教師が同じようにダメなことはダメと言えば、それはダメなんだなと子どもも分かる。
職員室から教室へ移動する時は、全校児童への教育のチャンスである。
ただし、先にチームでの共通理解が得られていることが前提である。
2012年7月17日火曜日
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