先日、勉強会で、ある先生の国語の模擬授業に参加した。
その際、「道徳の授業っぽい」と私が意見した。
それに対し、野口氏は「結果的に、道徳的になるのは良い」とコメントした。
さらに「全ての授業は、道徳的要素が含まれるべき。」といようなことも言われた。
(正確には、多少言い回しが違ったかもしれない。)
これは、非常に勉強になる言葉であった。
およそ道徳的でない教育というのものは、存在しない。
算数の授業ですら、道徳であると。
算数が分かることで、道徳性を高める。
学ぶことは努力する気持ちかもしれないし、人に教える喜びかもしれない。
算数ができたことで、できない人を馬鹿にするようであれば、教育的には失敗である。
例えば勝利至上主義などは、道徳の視点からすると、やはり違うといえる。
学習指導要領にも「道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うこと」とある。
「この授業を通して、どんな道徳的価値があるのか」といつも考えてみたい。
2012年7月10日火曜日
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