例の「見せっこテスト」の意外な効能。
それは、「理想の算数の授業が簡単に実現する」ということである。
どういうことかというと、そのテストの仕方で起きる子どもの行動が、よく算数の授業研等で求められる姿に限りなく近くなるのである。
まず、わからない子どもが必死で解法を友達にきく。
何といっても点数に関わってくるので、必死である。
解き方として式だけでなく図や筆算まできちんと書かないと○にしないと告げてある。
仲間に書かせてはいけない。
だから、ききながら自分で必死で理解しようとする。
教える方も、すごくわからない相手に何とかわからせて得点させねばならないので、説明が必死である。
答えの丸写しは認めない、理解させることが教える条件と告げる。(ただし、子どもの裁量なので、効果はいかほどか。)
相手が頭を抱えていると、二人がかりや三人がかりで何とかしようとする。
中間層の子どもは、確認に必死である。
自分の解法は合っているのか、友達と解が一致しないのだが、どちらが間違っているのか。
例えば、0.0982を上から2ケタの概数にした時、解は0.1なのか0.098なのかで割れる。
互いに相手を説得するのに必死である。
問題数も結構あるので、時間いっぱい頭を使わないと間に合わない。
なぜ友達同士で必死かというと、正解を先生が教えてくれないからである。
先生が正解を教えてくれる時は、もう得点にならないのである。
つまり、問題解決学習で必要とされる
「自力解決」
「比較検討」
「説明」
あたりが、一挙に自動的かつ必死に行われることになる。
「習熟」は、テスト後に「教えてもらって○になった怪しい問題はもう一度」と自主学習等で取り組ませる。
(ここが、実は結構一番の難関である。)
やらせてみるとわかるが、「授業研でこれぐらい活気があるといいなぁ」という状態になる。
純粋に「テスト」としてみた時の問題点はあるが、月に1回ぐらいやってみて損はない方法である。
2012年3月4日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
0 件のコメント:
コメントを投稿