通知票は何の為に、誰の為にあるのか。
誰の為かというと、大きく三つある。
一つは、本人の為。
一つは、親(保護者)の為。
一つは、学校関係者の為。
学校の側からすると、受験の資料になる。
この子どもはどこの学校なら合格できそうか。
受け入れる側は、どの子どもを入学させようか。
そういう、受験の合否を考える際の資料になる。
親が、我が子の学習の進捗状況を把握する資料にもなる。
本人も同様である。
実際は、受験用の機能が強く前面に出ているように思う。
しかし何より、本来の通知票の役割は、本人のやる気を鼓舞する為にあると考える。
A評価をもらえば、自分はできると思い込む。
C評価をもらえば、できない自分を思い知る。
通知票で誉められたことは、そうかもと思う。
通知票をもらってやる気を失ってしまっては、本末転倒である。
なぜなら、色々な使い方はあれど、最終的には全て本人の為に存在するものだからである。
本人のやる気を失わせるものが良いものな訳がない。
「現実をわからせることが大切だ」という論もあると思う。
しかし、小学生に現実をわからせて、一体どうなるのか。
子どもは「身の程知らずの誉められたがり屋」なのである。
幼児はみんな、自分は何でもできると思っているのに、その思いはやがて消えてしまう。
「創造力に乏しい」「チャレンジ精神が足りない」というが、現行の教育制度からして、至極当然のようにも思える。
通知票が、その一端を担ってしまってはいないか。
大人だって、自分にランキングを付けられたいのだろうか。
今学校現場で取り入れられようとしている能力評価制度は、教師向け通知票である。
(企業はその副作用を知り、続々撤退している。さすが何でも学校は10年遅れ。)
競争社会の基盤を作っているのが通知票と受験であるなら、それは哀しい。
韓国の例を見ても、それは間違いないように思われる。
通知票は、子どもにプラスの作用を持ったものとして活用したい。
2012年3月10日土曜日
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