前号で、8の字跳びでは「基礎が大切」という話を書いた。
これは、教育全般に関していえる。
基礎さえしっかりしてれば、後はどうにでもなる。
逆に、基礎がダメだと、どんなに上が立派でもダメである。
野口芳宏氏が、度々口にすることを紹介する。
それは、学校の校内研修において、「研究」はよくされるが「修養」はなされていないということである。
「研究」は授業をどうするかとか子どもをどうするかといったことが中心になる。
つまり、「他者改善」である。
一方、「修養」は自分自身を変えていくことである。
「自己改善」である。
教育技術を学ぶのは大切だ。
うまくいく授業を真似してみるのは技能向上に役立つ。
しかし、うまい授業を支えているのは、その教師自身である。
指導案や授業を見ただけでは見えない、その人自身の生き方みたいなものが授業を支えている。
だから、小手先の技術だけ真似してもうまくいかない。
完璧に再現しているのに、全然違ったものになる。
たとえ相手にする子どもが同じであっても、である。
以前にも書いたが、同じことを言っても、誰がいったかで意味は全く変わる。
「自信が確信に変わりました」という言葉は、松坂大輔の名言だが、他の人が言ったら、ただの厭味である。
いや、松坂だって、イチローを完全に封じたその状況だからこその言葉である。
松坂の努力が透けて見え、そこに実績が裏打ちされて、初めて重みのある言葉になる。
授業がうまくなりたいというのは、教師の共通の願いである。
そのためには、授業から離れた場での修養が大切になる。
休日は、教育から離れて、自分自身を変える修養に当てるのもよいと思う。
2012年1月22日日曜日
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