ソクラテスの言葉に「無知の知」というものがある。
「自分は知らないということを知っている」という、哲学的な考えである。
教員生活も2年目、3年目と続くにつれて、色々なことがわかってくる。
5年もやれば、大体のことは、ぼちぼちできるようになる。
この「ぼちぼちやれる」というのが曲者である。
実は、やれてない。
相当、周りの人達にサポートされている。
できるので、わかっているようだか、実はわかってない。
子どもの算数と同じで、問題は解けるのだが、「なぜ?」と聞かれると答えられない。
10年ぐらいやると、後輩に「なぜ?」ときかれるので、やっとわかってないことに気付く。
11年目が、新しい1年目のスタートである。
21年目も、31年目も、それぞれのステージでみんな「1年目」である。
何年経っても「初心忘れるべからず」である。
2012年1月6日金曜日
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