国語の教科書の教材文を「使って」、教える。
教材文そのものを教えても仕方がない。
他の教材文を読む時に、転用できる力をつける。
どんな力があるか。
漢字の読み書きは、その代表格であるが、教材文から、という感じでもない。
「学習用語」を教えることは、国語でつける力の一つである。
「比喩」「対比」「音読・黙読」「段落」「内言・外言」等々。
「問題に対する解答の仕方」を身につけるのも、力の一つであると考える。
テストで答える時に絶対に必要になる力である。
「なぜ」「どうして」ときかれたら、「~だから。」
「どんな事」ときたら「~事。」
「書き抜きなさい」ときたら、句読点にいたるまで一字一句そのまま書き写す。
そしてこれらは全て、「文中の言葉を使って答える」というのが基本である。
勝手な自分の想像で答えてはいけない。
「国語の答えは全て教材文に書かれている」とは、国語の野口芳宏先生の言である。
算数は解答が書かれていないのに、国語は書いてある。
実に明快、かつ簡単である。
国語の授業で何を教えてるのか、意識して臨みたい。
2012年1月8日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
0 件のコメント:
コメントを投稿