2015年10月3日土曜日

夏休みの宿題代行業隆盛に思う

メルマガからの記事なので時期がずれるが、夏休みの宿題の話題。

以下の記事を読んだラジオ局の方から、今年の夏休みにラジオの取材を受けて回答した。
http://president.jp/articles/-/15853

夏休みの宿題代行業があるという。
学校からすれば、恐るべきことである。
もはや、何のために夏休みの宿題が存在するかという存在意義自体が問われている事態である。

業者の側の視点からすれば、儲かるからやっているだけである。
何なら、苦しんでいる親子を救っている存在ともいえる。

利用する親の側からすれば、助かる存在である。
どうにもこうにも手の付けようがない我が子の宿題を「処理」してくれる。

学校の側からすれば、全くもって心外である。
夏休みの宿題の大切なねらいの一つである「望ましい生活習慣の形成」など、見る影もない。

まあ、どの立場の人がどう受け止めてもいいのだが、上記三者の例では、大切な人の視点が抜けている。

子どもである。
子どもが、夏休みの宿題によって、何を学ぶかである。

夏休みの宿題を、8月31日の夜に親に手伝ってもらいながら必死に終わらせた経験がある方もいると思う。
まあ、宿題のねらいからするとかなり外れるが、この場合とて色々なことを学ぶ。
計画的に物事を進めておくことの大切さ。
先延ばし癖の害悪。
親への申し訳なさと感謝。
自己批正。
夏休みの宿題への遺恨も残すかもしれないが、色々学習する要素がある。

これを、代行業差に親が委託したとする。
何を学ぶのか。
正直に話すより、ずるしてでも誤魔化すこと。
お金さえ払えば大丈夫。
いざとなったら親が全て何とかしてくれる。
そんなことを学んだ子どもの未来は、不幸である。

もしかしたら、受験があるなどの理由から、どうしてもやりきれなかった面があるかもしれないとも思う。
それは、学校の側も配慮が必要なのかもしれない。
ただ、学校としては「こういう事情で、申し訳ないですが、どうしてもやれませんでした。」
と説明してくれれば、事情を慮ることができ、それ以上追求はしない。

また、そんなに親子を苦しめるような宿題の出し方自体にも問題があるかもしれない。
ここは場合によっては、宿題を出す側が大いに反省すべき点もある。
とにかく、それが本当に子どものための宿題になっているのかというのが大切な視点である。

学校は、子どもを成長させ、良くしていくための機関である。
宿題は、その機能の一つである。
そもそも論に立ち返り、宿題の意義について考える必要があるように思った。

腹が立つ時には

最近、腹が立つということが減った。 なぜか。 自分自身の怒りを眺められることが増えたからである。 腹が立つ時を考えると、大抵が「痛い」ところを突かれた時である。 もう一つは、自分が否定された、妨害されたと感じた時である。 要は、ほぼ全てが、自己防衛本能の発動である。 ...

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