2015年10月19日月曜日

その授業に価値はあるのか

ここ最近、授業の略案や指導案を見る機会が何度もある。
校内研究に加え、実習生が来る時期が重なっているためである。

授業を見た後、大抵指導するのが、その授業の目標についてである。
要は、何がしたかったのか。
どうなれば成功なのか。
それこそが、指導案に記述されている目標そのものである。
ただの飾りの文言ではなく、子どもの姿そのものである。
そして、そこに辿り着くために、途中に様々な手立てを入れて、一時間の授業が組み立てられる。
逆に言うと、手立てもなくいきなりやらせても子どもの自力(地力)でできる目標であれば、授業の価値はない。

つまり、その授業をしたことで、子どもにどんな学力が付いたのか。
師の野口芳宏先生の言葉で言えば、どんな「向上的変容」が見られたのか。
逆説的にたずねるなら、その授業をもし受けなかったら、子どもの未来にどんな不利益が生ずるのか。

もしこれらの問いに明確に答えられないのであれば、授業した意味がないかもしれない。
授業を受けることで、プラスの変化が生じているはずである。

ふと、自分の授業を振り返る。
いつの間にか、前に立てば子どもが授業を聞いてくれる立場になった。
しかし、それは本当に向上的変容の連続的保障をしている授業か。
惰性になっていないか。
教科書に載っているから、年間計画にあるからやっているだけではないか。

改めて、自分に問い直してみる機会になっている。

子どもの眼・子どもの心

夏の読書に、次の本を紹介する。 『一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント』 鹿島 和夫 編 フォア文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4652039077 35年以上前の本だが、今の教育で欠けている視点が手に入る良書である。 ...

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