もう過ぎ去ったが、卒業式。
3月の卒業式の練習にあたり、学校長が一つの言葉を贈った。
啐啄(そったく)という言葉である。(多分、文字が表示されない。)
「啐」は「口へんに卒」で、「さけぶ、呼ぶ」という意味がある。
「啄」は「くちばしでつつく」という意味がある。
それぞれ、卵の中の雛鳥と親鳥の行為である。
「啐啄同時」とは、雛鳥が出たいと鳴いた時に、親鳥が卵の殻をつついて割る。
そのタイミングがピタリと合う様をいう。
教育をする上で、困難な点はここにある。
教師側は一生懸命教える。殻をつつく。
しかし、肝心の雛鳥は、出ようという気が全くない。
やたらガツガツつつかれて、うるさいなぁという感じである。
雛鳥はどうしたら、殻の外に出ようと思うのか。
そのタイミングをじっと待つ。
ただ待つだけでなく、親鳥は卵を温める。
こんなに一生懸命温めてるのに出ようとしない雛に苛立つこともある。
そこをじっと耐えて温める。
我慢しきれなくなってガツガツやると、余計出てこないという事態になる。
出てこないから更にガツガツやる。
悪循環である。
「水辺に馬を連れて行くことはできるが、無理矢理水を飲ませることはできない」ともいう。
どちらも、相手がそうしたいと思わせることがポイントである。
どうすると馬が水を飲むのか。
馬をたくさん走らせて喉を渇かすことかもしれない。
先に水を飲んで見せて、うまそうだと思わせることかもしれない。
放っておいても、飲み過ぎるぐらい飲む場合もある。
相手に応じて、やり方は様々である。
いずれにしろ、こちらが一緒になって、忍耐しながら努力・工夫する必要がある。
子どもの内面に働きかけること。
子どもが動こうと思ってくれないと、何も始まらない。
ある意味、教師や親の側は、そこを相手に依存する分、圧倒的に不利である。
不利であることを自覚し、願う思いで接する必要がある。
お互いの思いが、ぴたりと合った。
そんなことを感じた、卒業式だった。
2013年4月25日木曜日
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