2013年4月23日火曜日
よく歌う子どもにするには?
季節はずれだが、卒業式の話題。(メルマガだとタイムリーだったので。)
卒業式と言えば、歌。
「子どもが歌わない」ということが、特に卒業生の指導の悩みの種になる。
しかし、一方で、やたら歌えるクラスもある。
全員がのびのびと、本当に全力で歌うクラスがある。
ある先生が持つと、毎年そうなる、という先生がいる。
私の尊敬するある先生が担任すると、その先生のクラスには歌声で勝てない。
この差は何なのか。
先日受けてきた研修会で、講師の先生が仰っていた言葉がある。
「担任の先生がよく歌うクラスは、よく歌うクラスになる」
「担任の先生が掃除好きだと、掃除をよくするクラスになる」
つまり、子どもは、担任の鏡である。
担任の先生が歌うことが本当に大好きなら、子どもが歌わないはずがない。
担任の先生がはだしに素手でトイレ掃除をする人なら、子どもがトイレ掃除を嫌がることはない。
担任の先生が授業をすることが大好きなら、子どもは勉強が大好きになる。
全員が一概にそうなるとはいえないが、大部分がそうなることは経験上間違いないようである。
自校の子どもの抱える課題で、例えば次のようなことが話題になる。
「あいさつができない」
「本を読まない」
「道徳心に欠く」
「家庭学習をしない」
「掃除をしない」
「いじめをする」
「自主性がない」
・・・・
振り返るべきは、我々自身はその課題を抱えていないか、である。
繰り返すが、子どもは鏡、である。
例えば、職員同士が毎日元気よく最高のあいさつが飛び交う職員室。
その学校の子ども達があいさつができない、ということが、ありえるのだろうか。
尊敬する原田隆史先生の言葉で、私が特に好きな言葉は「主体変容」である。
教師とて、相手を変えることはできない。
自身が変容した時、その姿として子どもに映るだけである。
歌わせたかったら、本気で、のびのびと思い切り教師が歌う姿を見せる。
それが、第一歩であるように思う。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
0 件のコメント:
コメントを投稿