卒業やその学級の最後の日、毎年何かしら言葉を贈る。
読み返してみると、毎年、結構いいことを言っている。
お寺の説教のようである。
今年は簡単に言うと「素直であれ」「感謝せよ」「人を大切にせよ」だった。
さて、誰に向けて言っているのか。
当然、子どもに向けている。
しかし、よくよく見直してみると、自分向けでもある。
そういう人間がいいと思っている。
一方で、そういう人間に達しきっていない自分を感じている。
先の例で言うと
「素直さが足りない」「感謝が足りない」「もっと人を大切に」
と、自分自身に感じている。
一方で、少しずつそれに近づいてはいるから、それがいいと言える自分もいる。
例えば「手紙を書く」などは、「素直」「感謝」「人を大切に」全てを具現化する手段だと思う。
しかしながら、ものぐさな自分のせいで、即実行とは至っていない現状である。
(周りの実践している素晴らしい人々に影響を受け、ぼちぼち、出すようになってきてはいる。)
教え子に教わる、というのが常である。
教えながら、自分自身も教育しているのかもしれないと思った、卒業の日の贈る言葉だった。
2013年4月27日土曜日
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