「おしゃべり」。
世間一般的には、好まれる行為である。
特に、最近は「女子会」なるものが流行っているようで、隣で開催されていると、言葉の弾丸が飛び交うような光景である。
互いに、あんまり相手の話はきいておらず、しゃべりっぱなしのようである。
それで、何だか互いに満足する。
きいて内容を理解してもらっているかよりも、しゃべるという行為自体に意味がある。
脳の構造上、女性の方が言語によるコミュニケーションを好むらしい。
(だから、夫婦げんかが起きやすいともいえる。男性は言語の交流が下手な傾向にある。)
さて、このおしゃべり、学校だと、好ましくない行為として通っている。
「授業中におしゃべりしてはいけません」という感じである。
おしゃべりは、学校では地位が低い。
先日出た勉強会で、3人の講師の先生のお話をきいた。
どの先生もこの「おしゃべり」を授業でも日常生活でも活用していた。
先生の話をきいていないのではなく、意図的にリラックスやコミュニケーションの時間をとっている。
私が学んだ原田隆史先生の教師塾でも、講義の途中に頻繁に班内で意見を交換する時間がある。
深夜まで数時間に及ぶ勉強会でも集中して参加できるのは、講話の素晴らしさだけでなく、班内シェアの時間の役割も大きいように思う。
授業中は「緊張」と「リラックス」のバランスを意識する。
以前も書いたが、15分が大体集中力の限界である。
できれば、5分に1回のリラックスが望ましい。
それは、笑いであったり、運動であったり、おしゃべりであったりする。
ゴムも伸ばしっぱなしだと、切れる。
時々緩める必要がある。
やたら大きな声を出させる。
突然「全員起立1,2!」で立たせる。
「はい、今のことについて班内シェア」
何でもいいから、短いリラックスを途中で入れる。
教室でどう「おしゃべり」のようなリラックスを取り入れるか、次号もう少し考えていく。
2013年4月14日日曜日
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