夏の間、オンラインが中心ではあるが、多くの学習会に出てきた。
各種学習会で共通して話題になったことがある。
学校のあらゆる「ルール」に関する問題である。
「変えたいけど変えられない」という点が多くの悩みの中心になっているようである。
ここの答えは明確で、変えようとみんなが動けば変えられる。
今回はこの点について述べる。
慣例も含めたルールが問題の中心となっているので、まずはルールについて考える。
ルールについては、責任の所在で考えて二つに分けられる。
(便宜上A,Bをつける。)
ルールAタイプは、その集団に属す上で前提としてあるルール。
国民という集団規模でいうと、憲法や法律がその代表格で、予め定められているものである。
会社員や学校などの集団規模で考えれば、雇用契約書、校則など、あるいは入試の要項などに書かれているものである。
その集団に属すにあたり前提として守る義務が生じるタイプのルールである。
ルールの遵守を監督し担保する責任の所在は、集団の各成員ではなく、責任者である。
(成員のルール遵守を促すために、違反に対しては何かしらの罰則規定があることが多い。)
学級だと、学級開きの時に担任が「守りましょう」と示すものがこのAタイプのルールである。
あるいは「夏休みのしおり」に書かれているような、学校が示すゲームセンターや花火の使用等に関するルールなどである。
Aは「トップダウン型」のルールともいえる。
組織の安全保持のためにも必要な大枠であり、これが全くない状態は組織としてあり得ない。
もう一つのルールBタイプは、集団の成員内で話し合って決めたルール。
問題が生じることによって、必要に応じて作るものが多い。
そのルールを担保し守るのは、ルールを設定した全員である。
一般社会だと、労働組合によってできたルールなどはこれである。
「こういう時にはこう動こう」と自分たちの会合でルールを決めて申し合わせをする。
もちろんその組合に入っていない人は知らないし、職場が同じでも対立する立場にある管理職にはそれを守る義務がない。
組合員が自分たちで作ったルールを自分たちで担保する必要がある。
Bは「民主統治型」のルールともいえる。
学級だと、子どもたちの話合いによって作られたルールがこのBに当たる。
私の学級だと、できる際に一言「いつかこのルールをなくせることを目標にするとよい」とアドバイスする。
そのルール設定が生活を快適にするか否かは、子どもたち自身の行動にかかっている。
子どものいる家庭内のルールはAから始まってBに移行していくパターンが多そうである。
生活に関するものやゲーム・スマホ等の使用ルール、お小遣いに関するものなど全てこれである。
家族構成が変わる、または子どもの年齢が上がり成長するにつれて、ルールを話し合って決め直す必要が出てくる。
(昔のように使用人もいる大きな家で、家長が決めている家訓のようなものがある場合はずっとAかもしれない。)
ルールには、ごく大切な前提がある。
ABの両ルールとも共通で、どんなルールも「変更が可能」という点である。
しかし、当たり前に感じていると、これは「変えられないものだ」と思い込んでしまう。
これは誤った前提認識である。
変更難易度に関しては、重要な大枠のAの方がもちろん高く、Bの方が自分たちの手で直接できるので、より現実的である。
(逆に、Aを決められる立場の少数の人にとっては、Bの変更の方が口出ししにくいが、今回は考えないことにする。)
ルールは成員全体にとって不利益が多ければ、自然と強い反対運動が起きて変わる。
変更に至っては署名他の所定の手続きが必要になるが、あらゆるルール変更は集団の総意によって可能である。
そうはいってもそうならないと考える人が大半である。
選挙での投票率の低さがそれを顕著に物語っている。
長くなったのでここまで。
次号でも、ルールが不動でなく、変えていけるということについて考えていく。
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