夏の間は研究と修養の時間と割り切って、ひたすら様々な学習会に参加し続けていた。
自分が開催するものも参加するものも両方あった。
関東に住んでいながら北海道の教育研究会でも、思い立ったらすぐ参加できる。
オンライン開催ができるというのは、本当に便利である。
自分がやったもの以外の学習会について詳しくは書けないが、重要な共通点を見出した。
共感である。
今は、SNSを見てもわかる通り、共感の時代である。
こちらの信念があるとする。
これが伝わるかどうかは、これに共感してもらえるかどうか次第である。
師の野口芳宏先生の教えで言うと
「教師理解」
である。
教える側が相手を理解し共感しようとする姿勢は当然必要である。
一方で、教わる側が教える側を理解し、共感しようという姿勢を作れるかは、より重要である。
そしてそれを作るのは、教える側の義務である。
信頼できると思わせるに値する話を日常的にすることや、自己開示の度合いである。
講演や実践発表を聞く時、心がけたことが、ここである。
自分と違う考えだと感じたとする。
その時、意識しないと心の中で否定してしまうのである。
これは一切が学べなくなる原因の元凶となる。
なぜならば、知らない、自分と違うポイントにこそ学びがある。
そうでなく知っている、理解できることだけを聞き入れるなら、それは単なる「確認作業」に過ぎない。
共感するにはどうするか。
相手の立場になって聞いてみるということが大切になる。
自分と違う文脈で生きている人の立場を想像できるか。
相手から学べるか否かはここにかかっている。
例えば自分が比較的裕福な家庭の多い地域に勤めているとする。
そうすると、逆の環境で勤めている人の文脈は確実に自分と一致しない。
だから、そのままぼーっとその人の話を聞いていると、誤った実践をしているように見えてしまう。
時代の違いにおいてもこれはいえる。
世代間ギャップを埋める難しさは、異なる時代背景を生きていることである。
極端な話、戦時中のどうこうを、今の時代の新しい世代が想像するのはかなり難しい。
それに対し悪だ正義だとどんなに論争しても建設的でない。
戦争の時代を生き抜いて語る人の話を聞く時、どんな心境なのだろうと想像することはできる。
かなりの限定した範囲しか理解できないが、全くの反駁や否定をする気持ちはなくなる。
数ある実践発表を聞く中で、心を打たれるものがあった。
例えば、子どもの意見を最大限きいた上で席替えをしたとする。
こちらは最大限の配慮をしたつもりが、子どもに話を聞くと実は有難迷惑だった点があったということがわかる。
そこでこの先生は必ず「そうなんだ!」とはっとする。
子どもから学ぶ姿勢がすごいのである。
だから、実践発表の中身もすごかった。
日々常に向上といった感じである。
教える相手から教わろうとする。
これは相手が大人か子どもか、立場や年齢の上下か等に関わらず、全ての場合に必要な姿勢である。
共感しようとするから、共感してもらえる。
この姿勢が全てである。
せっかくの貴重な時間を費やす学びを、これからも有益なものにしていきたい。
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