2016年11月14日月曜日

良い悪いのグレーゾーン

電車の出来事。
子連れの母親集団が前に座っていた。
1歳ぐらいのベビーカーの乳幼児。
当然、30分もじっとしている訳がなく、騒ぎはじめる。
騒ぐのをやめてくれなくて焦る母親。
一方、周りは穏やかに見守っている。
お年寄りの団体の方々は、「元気が良くていいわねぇ」などとニコニコしながら話しかけている。

わりとよくある風景である。
この乳幼児が騒ぐことに対し、「我慢のきかないだらしない子どもだ」という見解は普通しない。
(むしろ、寝てもいないのにそんな長時間じっとしている方が怖い。)
母親に対し「しつけがなってない」とも思わない。

ただ、この同じ行為もある一定年齢以上になると、単にマナーの悪い迷惑な人になる。
では、どこからが境目か。
これがグレーである。

周囲の側。
先のお年寄りなどだと、その許容範囲が広めである。
一方、ストレス疲れしている大人の場合、許容範囲は狭くなる。

同じ「電車で騒ぐ」行為であっても、小学生以上なら完全にアウト。
幼児でもどう見られるか危ない。

要は、年齢も行為も、許容ラインは各々の主観である。

例えば、就学前の幼児は、「お話」を聞くときに椅子にじっと着席すべきか。
幼稚園や保育園の方針によって、全く異なる。
1歳児でも座らせるところがあると思えば、座席自体がないところもある。

1年生ならどうか。2年生なら。6年生、中学生なら?
さすがに6年生で座ってられないのはダメだろうか。
しかし、海外に行けば話は別である。(そもそも、学校によっては座席自体がないこともある。)
つまり、全部「常識」による主観である。

自分の持っている常識は、かなり疑わしい。
それは本当に必要か。
それをするのはなぜか。
「将来困る」というのは本当か。

「常識」はとりあえず脇に置いておく。
自分が価値を感じていること。
そこに本音と実感があること。
教える時、間違っていてもいいが、自分への嘘があってはいけないと思う次第である。

共感と勘違い

「インクルーシブ教育」に関連した話。 最近、刺さった本。 『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』 東田 直樹 著 イースト・プレス (2014/9/5) http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=21...

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