2016年6月30日木曜日

目標と目的

何度か書いている、目標と目的の話。

一応おさらいから。
どちらが上位概念か。
これは、「目的」である。
目的は一点の「的」である。
目標はそこに向かうための「標」(=木の立て札)である。

ここで、子どもに次のように問いを投げかけた。
「掃除をして、きれいにすること。
これは、目的か、目標か。」

読者の皆様も考えてみてもらいたい。
目的だろうか、目標だろうか。


これは、目的、目標、どちらにもなり得る。

きれいにすることを「目的」におくとする。
すると、それに向けて様々な「目標」が立つ。
「汚れているところを探そう」
「黙ってやろう」
「用具を工夫しよう」
・・・等々。
結果、きれいにするという目的が達せられるはずである。

では、きれいにすることを掃除の時間の「目標」の一つとする。
すると、その先の「目的」を見据えることになる。
きれいにして、何を目指したいのか。
例えば、場をきれいにすることで、「心を磨く」という目的が考えられる。
すると、「心を磨く」という目的に適う掃除の仕方(様々な目標)を考えることになる。
その中に「きれいにする」は必ず入る。
他にも、「人の嫌がりそうなところを進んでやる」とか、
「使う人のことを考えて行う」とか、
逆に「無心で行う」とか、
「黙って行う」とかも入るかもしれない。

何が言いたいかというと、全てが目標にも目的にもなり得るということである。
よく「手段の目的化」ということをいうが、あまりいい意味で使われない。
これは「目標の目的化」ともいえる。
立て札までいくこと自体が目的化している訳である。
(無論、これが必要な場合もある。)

掃除を例に挙げたが、あらゆる場面でいえる。

例えば「アクティブ・ラーニングの授業」それ自体が、目的化していないか。
ペア学習やグループワークのような「型」にはまっていないか。
それを通して、目指す姿は何なのか。

例えば、指導案に沿って授業をするということ。
もし教育実習生なら、これ自体が目的になってもいい。
しかし本来は、この授業をすることで、何に近付きたいのかが大切である。
そこを見据えていなければ、単に「面白かった」で終わりかねない。

長くなった。
要は、子どもに教えていることは、自分自身への教化である。
目的を持って日々を過ごしたい。

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