2016年6月11日土曜日

何のために仕事をしているのか

先日、講座の打ち合わせを兼ねて気の置けない友人たちと一席設けた。
その際、「何のために仕事をしているのか」についてが話題になった。

教師の存在意義は、子どもである。
子どもがいないなら、存在意義がなくなる。

例えば、いわゆる「手のかかる」子ども。
大変である。
つまり、教師を「大変」させてくれる存在である。
(そういう子どもを「神様」と呼んでいる。)
そういう子どもと取っ組み合った一年は、振り返ると本当に充実感がある。
何もしなくても勝手に成長してしまうなら、楽だが味気ないともいえる。

例えば、前年度に「学級崩壊」を体験してしまったクラスの子どもたち。
子どもたちは、立ち直ることを求めている。
リーダーを求めている。(しかし、表向きは無気力、または反抗的であったりする。)
求められているとわかれば、がんばれる。
ピンチは見方によって「大変」のチャンスである。

例えば、いわゆる「安定した」子どもたち。
普通にしておけば、普通に過ごせる。
そこに、あえて火を付ける。
大変だが、そこに何かしらの変化を起こせる。

要は、子どものためになること。

どの学校にも、本当に子どもに寄り添って、一緒に泣いて笑って怒って喜んでいる先生がいる。
その先生に出会って、その後の人生が前向きになった子どもがいる。
それが、周りに知られている必要はない。
目立つ必要もない。
「何のために」が、しっかりとある。

地道に、目の前の子どものために何ができるか考えること。
それをやること。
「何のために」に迷ったら、目の前の子どもを見る。
教師の仕事の存在意義は、そこにしかないと思い至った次第である。

子どもの眼・子どもの心

夏の読書に、次の本を紹介する。 『一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント』 鹿島 和夫 編 フォア文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4652039077 35年以上前の本だが、今の教育で欠けている視点が手に入る良書である。 ...

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