2016年6月18日土曜日

「素晴らしい」を解釈する

前号の続き。
G.W.関連の話で、こどもの日に続き、みどりの日の話。

みどりの日は、自然の恩恵に感謝する日である。
当たり前のようで、意外とできていないことが多い。
いや、当たり前だと思っているからこそ、感謝を忘れる。
「有難う」の反対は「当たり前」というのは今では有名な解釈ではあるが、その通りだと思う。

解釈が大切である。
自分の世界は、自分の解釈で成り立っている。
(これを認めるには、同時に他人の世界は他人の解釈で成り立っていることも尊重する必要が出る。)
解釈は、情報が自分のフィルタ(観)を通ってきたものである。
百万人が同じ情報に触れていても、観によっては百万通りの異なった解釈となる。

「素晴らしい」という言葉がある。
「素」で「晴れ」。
「素」はそのまま。
ただ、晴れているという情景が思い浮かぶ。
そのまま、青空の下で生きていられること自体が、素晴らしいことである。
普段自覚しないが、空気も含めた自然に生かされていることは、有難いことである。
仕事があることも、目の前の子どもたちの存在も、そのまま「素晴らしい」「有難い」ことだと気付く。

「困った時は空を見上げる」というようなフレーズが、様々な歌詞によく使われる。
晴れて澄み渡った空の下、生きているだけでも素晴らしいことである。

熊本は相変わらず地震が起きるし、復興にも時間がかかるようである。
しかし「止まない雨はない」という言葉もあるように、必ず晴れる時が来る。

福島の被災地ボランティアに行った際、次の二つの言葉が心に残っている。
「できる人が、できる時に、できることをする。」
「被災地を忘れない。」

被災地のことを忘れず、できることとして、応援メッセージは送り続けたい。
そして、何はともあれ今生きていられること自体の素晴らしさに、有り難みを感じられるようにしたい。

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