2016年6月24日金曜日

転ばないで自転車に乗れる方法?

失敗と成長の話。

先日、子どもの自転車の練習に付き合った。
補助輪を外しての走行。
乗れる人には当たり前すぎることも、乗れない子どもにとっては大きな壁である。

30分ほどやったが、一度も転ばない。
そして、ほとんど進まない。
転びそうになる前にすぐ足を着くので、当然である。
こぐ以前のところである。
両足を離すのも一瞬である。

ここを見て、はたと気付いた。
そう、誰だってケガはしたくない。
大人も子どもも同じである。

しかし、ノーリスクでいくほど、ノーリターンであることが多いのが世の常である。
転ばないようにすればケガもないが、挑戦もない。(当然、成長もない。)
この辺りのバランスが肝である。

つまり、最低限の安全面は確保しつつも、そこから先はリスクをとる必要がある。
わざわざ石がたくさん転がっている場所で練習する必要はない。
しかし、普通に平坦な道でも、転べば痛い。
痛い思いをする過程で、成長がある事実も否めない。

ここではたと思い出した。
私がよく使っている道徳教材で、『生きてます、15歳。』という本がある。
https://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80000080
この本に、全盲の女の子が、母親と公園で自転車の練習をする場面のくだりがある。
母親は、一つも手を貸さない。
周りから見れば「鬼母」である。
全盲の子に手を貸さないで自転車練習など、常識からすると有り得ない。
血だらけ傷だらけになりながら、練習を続ける。
しかし、やがて乗れる時が来て、二人で涙を流して大喜びする。

ここである。

助けて欲しい。
しかし、母親は助けてくれない。
「根性出せ」の一点張り。
しかし、めげずに続ける。
やがて、成功する。
失敗を糧とした努力の積み重ねによる成功体験をする。

母親は、手を貸したい。
でも手を出さない。
愛する我が子がひざやひじを血だらけになりながら転倒しているのを、黙って見守る。
相当な我慢が必要である。

この場面では、お互いがリスクを背負っている。
リスクが大きい分、見返りも大きい。
「失敗したくない」「ケガしたくない」なら、攻めずに自転車なぞ乗らなければ済む話である。
しかし、敢えていくことに価値がある。

何でもこれである。
学級経営だって、リスクをどれだけとるかである。
1から10まで先回りして手出し口出しをしていけば、安全かもしれない。
例年通りで当たり前のことを繰り返していっても、何とかなるかもしれない。
しかし、そこに子どもの成長があるかは、疑問である。

子どもに細かく手取り足取り教えてあげる時がある。
一方で、子どもの成長を黙って見守る時がある。
その見極めは、経験からしか学べない。
しかし、より良い方法を事前に学習しておくことも価値がある。

拙著『ピンチがチャンスになる切り返しの技術』も、ここである。
守りに入らない。
攻めれば攻めるだけ、ピンチに陥ることが増える。
それをチャンスにして這い上がるための本である。
学級崩壊に陥らないための本ではない。
最高の学級経営を攻めながら目指すための本である。

話が逸れた。
要は、最高の準備をした上で、しっかりリスクをとって挑戦していくこと。
子どもにとっても大人にとっても大切なことであると思う。

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